こんばんは。
アメリカの、Montgomery Terrier National Weekend、世界一のテリアウィークエンドから
帰って、まだ、その余韻にひたっているような、忙しすぎてきちんと振りかれていないような
気持ちと記憶が、行ったり来たりしていますが、季節は着実に冬に近づいています。
さて。
どこから話をして、モントゴメリウィークエンドの報告をしたらいいのか・・・まとまりませんが
夢の話を、したいと思います。
ハンドラー、露木浩にとって、Montgomery Terrier Weekendは、とても特別なドッグショーでした。
1983年、当時アメリカ修業時代に行ったのが、初めてのモントゴメリでした。
この年、ベストインショーを獲得し、テリアの頂点に立ったのが、AM.CH.Dinamic Super Sensetionという
ワイアーフォックステリアの牝で、この犬を見た途端、なんと美しい犬なのだと一目で釘づけに・・・。
このときが、人生のターニング・ポイント。
ワイアーフォックステリアの美しさに惹かれた、最初の瞬間でした。
その後、ほぼ毎年欠かすことなく、日本に戻ってからもこのショーだけは訪れていました。
1985年、CH.Sylar Special Editionと、CH.Galsul Excellenceという2頭の伝説の決戦。
いまも人々が語り継ぐこの名勝負を、目の当りに見たのでした。
この2頭の存在こそ、ワイアーフォックステリアを生涯のライフワークと決めたきっかけだったと思います。
1988年、7年近い修行を終えて日本に帰国。
その後、山田雄三郎氏所有の2頭の英国チャンピオン、Townville ToriqueとTownville Tradesmanを
アメリカ帰りの若い自分にショーイングするチャンスを与えてもらい、一生懸命に取り組みました。
この犬たちは日本でのキャンペーンの後、山田氏の手により、英国Saredon Kennelに戻りました。
そして、この2頭の血液が現代の多くのワイアーフォックステリアの名犬たちの血液へと
受け継がれているのです。
血液を生かすこと、犬を英国に戻した意義の大きさが今なお、実感させられます。
もしも、この2頭がイギリスに戻らず日本で引退していたら、生まれ得なかった名犬が何頭も
いることだろうと思います。
1996年、恩師Ric Chasoudianが日本のドッグショーに審査のため来日し、スコティッシュテリアの牝を
ショーイングし、グループ1席をもらったのですが、この犬がRicの目に留まりました。
その後、アメリカに渡りショーチャレンジを開始。
1997年、スコティッシュテリアクラブオブアメリカで入賞、翌年、Westminster Kennel Club Dogshowで
ベスト・オブ・ブリードを獲得します。
この頃から、ワイアーフォックステリアへの思いが深まり、ワイアーフォックステリアのブリーダーであった
Ric Chashoudianに、牡のワイアーフォックステリアのショードッグを譲ってもらえないかと
懇願していたのでした。
思い叶い、CH.Jenwyres Gerge Cinq of Santeric(Jr.)が来日し、村瀬様がキャンペーンを開始。
1998年、1999年、2年連続テリアナンバーワンを獲得しました。
2000年、このJr.をWestminster Kennel Club Dogshowにエントリーしましたが
この年、Peter Greenが当代きってのスタードッグ、Blackdale Ring Masterをショーイングし
まさに、「勝ちに来て」いる年だったので、勝ち目はないだろうと踏んでいましたが
審査員は、Mr.Edd Biven。
Westminster Kennel Clubも、当時はマジソンスクエアガーデンで行われ、自分にとっては
Mr.Clarkに連れて行ってもらって以来、憧れの舞台のひとつでした。
そして。
ここでも奇跡が起きました。
自分がハンドリングするJr.が、Peter Green率いるBlackdale Ring Masterを破り、ウェストミンスターKCで
ベスト・オブ・ブリードを獲得したのです。
このとき、ドッグショーには「絶対の勝ち」も「絶対の負け」もない、勝負は蓋を開けてみるまで
わからないと確信したのでした。
自分たちは、審査員も変えられませんし、対戦相手を予測することもできません。
対戦相手がどれほど強い相手でも、たとえ対戦相手と審査員が仲がいいという噂があっても
それらは、自分たちではどうにも仕様のないこと。
自分たちにできることは、良い犬を選び、磨き、最高のコンディションを保ち、そして集中して
最高の状態でショーイングすること、それに尽きます。
この後、ワイアーフォックステリアをブリーディングすることを決め、Santeric peal of Kathrichを
RicとKathyから譲り受け、アイルランドのBlackdale Kennelから縁あってBlackdale Royalstarと
Blackdale Starletを譲り受け、これらの犬たちが、当FOXCREEK Wire Fox Terriersの基礎犬となりました。
ちなみに、Pearlは今なお健在で、元気に暮らしています。
その後、センセーショナルに日本のショーにデビューしたのが、Kathrich Y to K of Sateric(Ricky)で
2004年、ウェストミンスターケネルクラブでアワードオブメリットを獲得し、Ricの元に帰りました。
さらに、ワイアーフォックステリア愛好家の皆さんの記憶にあたらしい、Windfall(Leo)が来日。
この犬は、2007年のウェストミンスターケネルクラブドッグショーでアワードオブメリットでした。
この頃から、「自家繁殖犬でアメリカにチャレンジしたい」という明確な思いが芽生えました。
Jr.,Ricky,Leoと結果を残しましたが、これらの犬たちはRic ChashoudianとKathyによる繁殖で
ブリーダーとして、自分が繁殖したワイアーで挑戦したい、というのが次なる目標となりました。
Windfall(Leo)の孫、Foxcreek JP Synchronicity(Tony)が、当ケネル最初のアメリカチャンピオンとなり
その後、Foxcreek Jp I wish(JENNY)は、アメリカにオーナーがついて、モントゴメリテリアナショナルで
Tracy Szarasがハンドリングして、ベスト・オブ・ウィナース。
どの犬種もそうですが、とりわけ、ワイアーフォックステリア、ウェルシュコーギーペンブローク、ブルドッグ
など、英国原産の、英国人にとっての思い入れの強い犬種というのは、ある部分大変保守的で
トラディショナル、もしくは、コンサバティブな世界で、自分たちのような外国人が扉をノックしても
なかなか、その扉を開いてはくれません。
簡単に言うなら、外国人が犬を連れて行っても、簡単には勝たせてもらえない、という世界。
何度も、何度も、自家繁殖犬を連れてモントゴメリテリアナショナルに挑戦してきましたが
この数年、成績はあまり芳しいとは言えず・・・。
ただ、ハンドラー氏が1983年に衝撃を受けたあの瞬間から磨いてきた犬を見る目を疑うことは
ありませんでした。
今年は、世界中でワイアーフォックステリア・フィーバーの年でした。
その幕開けとして、昨年英国で行われた、ワイアーフォックステリア・アソシエーションの100年祭で
Peter Green氏が審査をし、まだ若いながらベストインショーに選んだベルギーの繁殖の牡
King Arthor Van Foliny Homeが、今年のクラフツで激戦のワイアーフォックステリアの
ベスト・オブ・ブリードを獲得、さらに、久方ぶりでワイアーフォックステリアが
テリアグループファースト!
誰もが、100年に1度の名犬だと、キング・アーサーについて熱く語りはじめました。
さらに、8月のワールドドッグショーでは、当然のようにグループ1席、さらにベストインショー3。
ブラジルの大富豪、世界一のショードッグオーナー、Victor Marzoni氏がオーナーについて
全面的なバックアップ体制のもと、King Arthorのヨーロッパキャンペーンがはじまりました。
ベルギー、アムステルダム、ドイツ、King Arthorの破竹の勢いは止まりません。
そして、9月頃から囁かれはじめた、King Arthorの次なる目標それは・・・。
世界最高峰のテリアの舞台、Montgomery Terrier Nationalでのベストインショー。
これには、もっと深いドラマがあります。
King Arthorのお父さんであるCrispy Legacyは、自分たちにとっても世界最高のワイアーの1頭だと
信じて疑いの余地がありませんが、この犬が、昨年のモントゴメリで勝てなかった。
だから、Crispy Legacyのブリーダーも、また、King Arthorのブリーダーにとっても
モントゴメリでの勝利は、悲願の達成だったわけです。
自分たちも、King Arthorの同胎の弟Night Hawkを譲り受けているし、また、Crispy Legacyとも
交配をした関係で、その悲願を想う「一員」でもあったと思います。
一方で、自分たちにはアメリカでショーイングをしている愛犬、Tarouがいました。
Tarouは日本でちょっとだけショーをし始めた昨年、縁あってアメリカのサラブレッドホースの
有名なオーナーであるKiKi Coutes率いるMistico Kennelから、リースをしてほしいと依頼を受け
昨年の12月より、アメリカに渡ってショーイングを行っていました。
有名なショーフォトグラファー、プライベートジェットで移動するお抱えのハンドラー、ショーのマネジメントを
する有能な秘書、とんでもない広さの広大なケンタッキーにあるケネル。
どれをとっても、理想的な環境の中、タロウは大切に育ててもらいました。
しかし、いくつかのハプニングが重なり・・・ハンドラーのデイナの突然の妊娠、出産、そして
オーナーのKikiの心移りもあり、チームの中心はアメリカン・アキタに移っていきました。
どんなに素晴らしいチームでも、そのチームの「ファーストコール」でないと、なかなか
アメリカのショーシーンで勝っていくことは難しい。
タロウはこの10月で連れて帰ろう、そう決めていましたので、このモントゴメリは
タロウにとって、アメリカでの最後のドッグショーになる予定でいました。
ナショナルの前オハイオまでタロウを届けてもらい、ただひたすら広がるコーン畑を
タロウと散歩し、そのときですら、「やっぱりこの犬、いい犬だよな」と思っていました。
モントゴメリウィークエンドは、通年は4日間のショーで、1日目と2日目がHatboloショー
3日目がDebon,4日目がMontgomeryで、最初の2日間だけ同じ会場であとは毎日移動です。
1日目、Hatoboloではジャックラッセルテリアの大志が56頭のエントリーから見事ベスト・オブ・ブリードを
獲得し、「自家繁殖犬を、自分でハンドリングして、ベストオブブリードをとる」という目標を
叶えていました。
ワイアーフォックステリアの審査は、ジャックラッセルテリアの審査のだいぶ後でしたので
余裕を持って臨むことができましたが、やはり会場のムードは「キング・アーサー」一色。
誰もが、稀代の名犬を一目見ようとリングサイドに集まり、ワイアーフォックステリアのリングは
ひときわにぎやかで、活気に満ちていました。
審査員は、ウェールズからやって来たワイアーフォックステリアのブリーダージャッジ。
タロウは頑張って、アワード・オブ・メリット。
それでも!
子のナショナルウィークエンドで、ワイアーフォックステリアをブリーダー・オーナーハンドラーとして
エントリーして、アワードに絡んだのは初めてでしたから、すごく嬉しかったです。
この時、誰もがキング・アーサームード一色でしたが、「I liked Japanese dog!」という声が
ギャラリー席から、チラホラと聞こえてきました。
タロウを気に入ってくれる人たちも中にはいたことが、すごく励みになりました。
2日目。
この日は、エアデールテリアのスペシャリスト、テリアのスペシャリストとして有名なMrs.Kippが
審査員でした。
結果、SELECT DOGで、ベストオブ・ブリードの次席に入賞しましたが
写真撮影の際、Mrs.Kippからの短評「This dog is one of the best wire fox terrier I have ever judged!」
自分がこれまで審査した中でも最高のワイアーフォックステリアの1頭でした、というコメントに
胸が熱くなりました。
だったらなんで、ベスト・オブ・ブリードくれないんだよっ!って思うけれど、誰もがKing Arthorを
破ることは空気的にも難しいような状況で、しかも、Kingは1日目はベストインショーまで行き
2日目もリザーブ・ベストインショーを獲得していました。
ただ、50頭近いエントリーから、セレクトドッグに選ばれたことも過去最高成績でしたし
なにより、ギャラリーからのタロウへの評価が日増しに高まっていったことも、手応えとして
実感できました。
アメリカでのTAROUをサポートしてくれたオーナーのひとり、Dian Ryan。
彼女は、あの有名なAfterall Painting Skyのオーナーでもあります。
今回、TAROUを、アメリカのワイアーフォックステリアクラブオブアメリカのボードメンバーである
Mrs.Grahamをはじめ、ほんとうに多くの人たちが愛し、見守ってくれたことにも感謝です。
日本の犬ですが、このTAROUを通して、多くのアメリカのワイアーフォックステリアファンシャーは
RIC CHASHOUDIANが愛した、美しい頭部と動けるワイアーフォックステリア、健全なワイアーフォックステリアを
見てくれたのではないかと、思います。
3日目。
モントゴメリ・ウィークエンドではラッセルテリア、ワイアーフォックステリア、スカイテリアの
3犬種のリングを掛け持ちしていたため、大忙しで、この日はスカイテリアを優先したため
Tarouは、ヨーロッパのブリーディングパートナーであるJurajにハンドリングを任せました。
はじめて、自分の犬を客観的に見るチャンスに恵まれましたが、やはり自分の目から見て
いいワイアーフォックステリアだと感じました。
しかし、結果は出ず・・・。
そしていよいよ最終日、テリアウィークエンドのクライマックス、モントゴメリ当日。
もう絶対、絶対、キングアーサーが勝って、ベストインショーをとると10人中9人が
口をそろえて言い、フォトグラファーたちはこぞって、キングの良いショットを撮ろうと
リングサイドに集まり、もちろん大富豪のオーナーも早々に開場入り。
自分たちは、ラッセルテリアとスカイテリアだけでも大忙しで、ぜったい勝ち目がないんだから
ワイアーは出すのやめようよとか、なんで勝ち目もないのに洗って、乾かして、テーブル載せて
トリミングして、そんな手間かけないといけないの!とかって、大ゲンカしてました。
されどここはナショナル。
ワイアーフォックステリア・クラブ・オブ・アメリカの由緒あるナショナルの舞台です。
勝ち負けを関係なく、ナショナルにエントリーすることこそブリーダーの誇りであるとばかりに
エントリーは50頭を越えるビッグエントリーでした。
今年の下馬評では間違いなくベストインショー候補のキングの登場ですから、会場は次第に熱気を帯び
リングサイドは、黒山の人だかりです。
ブログ担当者はリングサイドからサポートしつつ、大志のオーナーであるイギリスの人たちと
それから、Dianと、審査の行方を見守りました。
ファースト・ラウンド。
タロウが先頭で、その後ろの後ろにキング。
イギリスの人たちが、「あのHIROSHIが引いてる犬は誰の犬だ?」というので
自分たちの犬だと答えました。
HIROSHIの犬か?お前の犬か?と聞かれたので、HIROSHIがグルーミングとショーイングをして
わたしはごはんをあげていると答えました。
「あの犬、いいな」イギリス人がつぶやきました。
もちろん、KING ARTHORチームはリングサイドに大応援団を率い、勝つ気満々でした。
方や、タロウチームはブログ担当者だけが応援団なので、サポートしたり、祈ったり
手に汗握ったり、大忙しでした。
ベスト・オブ・ブリードコンペティションは頭数が多いので、ファーストカットで頭数をしぼります。
先頭がTarou、2番目がKing。
ここから席次や順番を入れ替えていきますので、手に汗を握るというか、もうドキドキでした。
でも、隣のイギリス人たちが、お前の犬が勝つよ、と言い出しました。
え?え?え?
そこからが、長かった。
さらに、1頭づつアップダウンのリクエスト。
さらに全員でラウンド、1頭づつラウンド、さらに席次を入れ替えて・・・あれ?
先頭のタロウを入れ替えない・・・。
最後のラウンド?と思われた指示を審査員から出され、審査員の指が・・・なんと、なんと、なんと
タロウに!!!
WIRE FOX TERRIER CLUB OF AMERICA
NATIONAL SPECIALTY SHOW
Best Of Breed 2014.
FOXCREEK JP IDEAL OR IDIOT
Call Name TARO
まさかの。
まさかの。
ナショナルで、ベスト・オブ・ブリード。
その瞬間、まるで地震のように、会場に大きなどよめきが走りました。
だって。
あの、スーパースター、King Arthorが、日本の犬にブリードで負けるなんて
いったい誰が想像したでしょう。
もちろん自分たちだって、そんなことが起きるなんて想像もしていませんでした。
ただ、自分たちが信じる犬を、いい状態でショーして、メモリアルにして、日本に帰ろう。
それだけを思って出したショーでした。
そこからの記憶が定かではなく、モントゴメリでの記念撮影の仕方も、段取りも、なにもかもが
初めてのことで、もう、パニックでした。
だけどあのイギリス人たちは、「ほら、言っただろう。いちばん健全で美しかった。」と褒めてくれました。
願って、願って、信じて、はじめて撮れたこのナショナルでのベスト・オブ・ブリードの記念写真。
あまりにたくさんのトロフィーや盾に、帰りの荷物がひとつ増えました。
1983年にはじめてこのショーを訪れてから、31年が経っていました。
31年越しの夢が、叶いました。
自家繁殖で、ブリーダー、オーナーハンドラーで、ワイアーフォックステリアクラブオブアメリカで
ベスト・オブ・ブリード。
いまでも、あれは夢だったんじゃないかと思ったりします。
そして、勝った瞬間から携帯電話が鳴りやまず・・・日本の犬がキングアーサーを破ったという知らせは
瞬く間に世界を駆け巡り、イギリスから、スウェーデンから、日本から、たくさんの祝福をもらいました。
でも誰も、ホントだと信じてなかった…最初は。
だって、これって、絶対不可能!だったことだから。
笑っちゃう話ですが、キングアーサーは、ブリーダー、オーナー皆でプライベートジェットで
2週間前からアメリカ入りし、すべてを万全に、モントゴメリに臨んできました。
自分たちはとにかくケチケチ旅行で、飛行機はもちろんエコノミー。
ごはんだって、なるべく節約するよう心掛けて、もうまったくもってオーナーハンドラー状態で
そんな面からも、もう、はじめっから勝負ついてた、みたいな感じだったのです。
だからもちろんこの激震はモントゴメリ全体をも湧き立たせ、多くのブリーダー、オーナーハンドラーから
声をかけられ、「You made my day!」、「あなたの勝利が自分たちに勇気をくれた!」
「信じていればいつかはいいことがあるって、教えてくれてありがとう!」、
「ドッグショーに奇跡は起こるんだね!」「ほんとうに素晴らしかった!」と
たくさんの人たちに、声をかけてもらいました。
この勝利が、「絶対勝ち目なんてない」って思っても、勝負の行方は蓋を開けるまで分からないと
多くの人に勇気や希望を与えることにつながってくれたら、それは、なにより嬉しいことだと思います。
ただ、ドラマはまだまだ続きます。
初めてのモントゴメリ、はじめてのグループ戦、初めてのベストインショーリング。
しかし。
運命というのは皮肉なものです。
今年のモントゴメリのベストインショージャッジ、Rosalind Kramorは、自分たちの繁殖の
SUSHIというワイアーの女の子を育てている共同パートナーで、ブリーディングパートナーなのです。
AKCのルール上、自分たちは彼女のもとに犬を出してはならないのです。
事前にAKCの監察員(REP)であるJIMMY MICHELに報告に行くと、「Thank you for your honesty」と
言われ、ベストインショーリングに入り、ファーストラウンドをし、審査員と握手をしてこのショーへの
感謝と敬意を示し、そしてリングを出ていくという方法をとるのだと教えてもらいました。
これは、よくPeter Greenの弟子たちもとる方法です。
こういう経緯で、はじめてのベストオブブリードをとりましたが、ベストインショー戦は辞退する
ということになったのでした。
それでも、ナショナルにおけるベスト・オブ・ブリードは、ブリーダーにとっての最高の夢。
世界に無数にブリーダーがいても、どれほど努力をしても、苦労を重ねても、ナショナルで
頂点に立てる犬、オーナー、ブリーダーは、毎年1チームだけなのです。
そして、その名前は永遠にブリード・ヒストリーに刻まれます。
誰もが苦労をして犬を育てて、早起きをしてケネル掃除に明け暮れ、手にマメをたくさんつくり
トリミングし、トレーニングし、毎週フラットワークをして、車に荷物を積んで、運転して
大変な思いをしてドッグショーに行きますが、それでも、その頂点に行ける犬はほんのごくわずか。
キング・アーサーのように、プライベートジェットから、大富豪のオーナー、ショーチーム
すべてが揃った犬でも、このように勝負の行方に「絶対」はない。
Leoだって、Rickeyだって、ナショナルではベストオブブリードは取れませんでした。
Crispy Legacyだって、ベストオブブリードがとれず悔し涙を流しました。
今回この激戦を制して、ベスト・オブ・ブリードをとれたこと、これは自分たちだけの力ではなく
毎日、犬たちを育ててくれるスタッフ、そして、当ケネルのワイアーを大事に育ててくれるオーナーさんたち
自分たちを見守り、信じてくださるオーナーさんたち、すべてがあってこそ、叶ったことだと
ほんとうに感謝します。
スタッフの皆には、ほんとうに自分たちを誇りに思ってほしい。
ブログ担当者が
はじめて、モントゴメリテリアナショナルに行ったときは、衝撃的でした。
犬たちがあまりに、ピカピカに輝いて見えたし、ショーマナー、ショーマンシップ、
リングでのパフォーマンス、そしてトリミングなど、まさに完璧なショードッグたちの並ぶ
とびきり輝く別世界に見えました。
ムリムリ!こんなところに自分の犬を出すなんて、ばかげてる!ほんとにそう思いました。
どう考えたって、太刀打ちできるわけもないって感じで、この輝く犬たちに比べたら
自分の犬たちの、なんと田舎くさく野暮ったく感じたことか。
それから何年か経ち、モントゴメリには毎年通い、食い入るように犬たちを見つづけて
ある年から、おや?自分の犬がここに並んでも恥ずかしくないかも?って思えるような気がして、
その次くらいからは、トリミングの技法も、うちのハンドラー氏のオールドスタイルの
クラシカルで基本に忠実なトップコートの長さ、飾り毛もすべて手で整える(ハサミを使わない)トリミング、
さらに各テリアによって変えるトップコートの長さなど、すごく高い技術なんだと思うようになりました。
最近は、アメリカのテリアを見るとフレッシュコートに近いショートコートでボディの毛をつくり、
飾り毛はやたらと吹かせてシザーで整えるという、シュナウザー的トリミングが増えてきたように感じます。
ワイアーも、レイクランドも、ラッセルにも、共通している印象です。
それに比べて、幾人かの頑固なオールドスタイルを継続しているハンドラーの仕事は、ひとめでわかります。
犬のトリミングをみると、どのハンドラーの仕事かがだいたいわかるようにもなってきました。
ハンドリングも、やたら早く動かすハンドラーがいるなかで、各テリアの特徴的リズム
(ワイアーなら振り子がわかりやすい、カクン、カクンというリズム、
ノーフォークやノーリッチはテケテケテケテケというリズム、スコッチはカッカッカッカというリズムで
けして早くは動かさない。)みたいな、各テリアのリズムを体にしみこませて動かすハンドラーは
アメリカでもトップ中のトップ、なのではないでしょうか。
ちなみに、かなり早いスピードで動かすのは、ケリーブルーとソフトコーテッドくらいではないでしょうか。。
それでも運動会みたいだとやっぱりヘン。
陥落不可能と思われた高い壁、ワイアーフォックステリアもナショナルでBOB、それ以外の日もアワード
セレクトという高い評価が得られました。
ショードッグはもちろん、犬の骨格構成とトリミングだけでなく、性格づくり、栄養、精神面の安定など
いろんな要素が含まれます。
課題を見つけるたび、なにかを取り入れ、音が苦手なワイアーたちには24時間毎日音楽や映画を聞かせ
海外のショーで聞かれる大きな音や香水、テントの屋根など、あらゆるものを日常生活に取り入れて、
犬たちが大舞台でビビらないようにと工夫したり、もちろんブリーディングにおけるテンペラメントの改善など・・・
自分たちが試行錯誤しながらやってきたことが、実を結んだということ、まさに
神様からのご褒美だなーと、そう思いました。
勝つためにすることは、問題点をいちはやく見つけること。
勝ち続けるためにすることは、問題点をしらみつぶしに消していくこと。
人の意見を聞くこと、小さなことでも変えること、いいことはすべて取り入れる柔軟さをもつこと。
日本人が繁殖し、育て、日本の土と、水と、ミネラルで育った犬が、ワイアーフォックステリアの
ナショナルで勝てる日が来るなんて。
メイドイン・ジャパン、がんばりました。
日本で、制限ある環境のなかで犬たちを育て、どうやって世界に太刀打ちできるよう育てるのか
いつだってこれが大きな課題となりますが、自分たちの創意工夫、そして愛情と真心で育てた犬たちが
世界で認められたこと、これは、ほんとうに、スタッフたちを讃えたい。
そして、KIKI Coutesのもと、10か月間アメリカにいたことで、Tarouが学んだことも大きく
Mistico Kennelの皆には、感謝の気持ちです。
さらに、このドリーム・ストーリーにはまだ続きがありました。
あの、「おまえの犬が勝つよ」と言ったイギリス人が、Taroのオーナーとなり
英国キャンペーンをしたいと申し出てくれました。
なんと。
イギリス人が、日本の犬を、イギリスで、キャンペーン!
英国原産犬種で、まさに奇跡のような話です。
誰もが、川端康成先生の時代から、舶来物の英国ワイアーに惚れ込み憧れた日本人でしたが
今度はイギリス人が日本の犬に惚れ、英国に連れて行くというのです。
Tarou、このショーをラストショーに、日本に帰ってきてリタイアする予定でしたが一転、
来年より、英国キャンペーンが決まりました。
ちょうどこのショーの1週間前、英国Saredon KennelのJudith Averis氏の訃報を聞きました。
自分にとってはテリアの偉大なる先人であり、テリアの話をする最高の話し相手の一人でした。
King Arthorも、実はジュディのアドバイスがあったからこそ生まれた名犬でした。
King Arthorのブリーダー、Deneyは、Judithの元でいちばん長く働いたアシスタントでした。
その縁から、我が家にはKingの弟、Knight Hawkがやって来たのです。
だから、このモントゴメリのワイアーのリングの片隅に、ジュディが座っているような気がしました。
さらに、角のほうに、RicとKathyも座っているような気がしました。
そう思っていたら、ワイアーフォックステリアクラブオブアメリカのMrs.Grahamからも
RicとKathyが角っこで見てるような気がしたと言われました。
多くの人が関わりあって、この日この瞬間を迎えることができました。
信じること、信じつづけること、挑戦しつづけること。
この意味を、あらためて感じました。
モントゴメリの歴史はじまって以来最強のジャック・ポットだと言われましたが
モントゴメリの歴史はじまって以来最高の、ドリームストーリーだとも言ってもらいました。
たくさんの人に、言いたいです。
何回か挑戦してダメだったからといって、審査員のせいにしたり、政治のせいにしたり
はたまた誰かの悪口をいったりして、ドッグショーから去らないで、もうちょっと信じてみてください。
信じつづけ、まっとうな道を丁寧に歩み続けた先には、かならず、結果が出ます。
Keep believing and keep up working on!
恩師たちからは、まさか、自分が生きている間にこんなことが起きるとは思わなかったと
言われました。
31年間、信じてきた道を歩んできてよかったと、心から思いました。
この場を借りてではありますが、関わってくれたすべての人に、感謝です。
ありがとうございました!
ドッグショーは夢のある舞台。
それを忘れず、また、次の夢に向かっていきたいと思います。
[ワイアーフォックステリア専門犬舎 FOXCREEK]
当ケネルでは、健全性、気質の安定にこだわり、また、頭部の美しいワイアーフォックステリアを
海外の厳選した血液を用いて、ブリーディングしております。
厳選した血液の導入によって、より健全性の高い、気質の安定したワイアーを育てることを
ポリシーとしております。
本年は、King Arthor同胎のKnight Hawk、さらに英国Burren Croft Kennelから、
ドイツのShonen Bergen Kennelから、3頭のスタッドが来日し、さらなる健全化をはかります。
「当ケネルで働いていた」等という言葉を用いて、ワイアーフォックステリアの専門を謳っている
犬舎があるようですが、当ケネルとは一切関係がありませんので、ご注意ください。
トリミングに関しても、当ケネルがおすすめするケネルはごくわずかですので、誤解がないよう
事前にご確認ください。
気質のマイルドなペットタイプから、ショークオリティ、インターチャンピオンクオリティまで
ワイアーフォックステリアをお譲りしております。
●ワイアーフォックステリアのパピーのお問い合わせ
●ワイアーフォックステリアのトリミング
●ワイアーフォックステリアのお預かり、トレーニング
●ワイアーフォックステリアのフォスターペアレント(里親さん)募集
ワイアーフォックステリアのことなら、当ケネルまで、お問い合わせください。
clumberup@gmail.com
053-545-0537
にほんブログ村