ちょうど昨日のことになります。
昨日、アメリカについてすぐにチェックしたメールボックスには
一通のメールが入っていました。
Ric has passed away this morning.
Ricが、今朝亡くなったと知らせるメールでした。
Ricとは、Mr.Ric Charshoudian、ハンドラー氏の人生における最愛の恩師のひとりです。
彼がいなかったら、いまの露木浩は、ありません。
彼がいなかったら、いまの露木浩のトリミングもないし
これほどまでに人生をかけて、ワイアーフォックステリアに夢中になることすら
なかったかもしれません。
ハンドラー氏が、まだハンドラーでなかった時代からハンドラーとしての今日まで
たえず励まし、応援し、力づけてくれたRICが、去ってしまいました。
アメリカ中の、そして世界中のテリア・ワールドは、偉大なる人を失ってしまいました。
10月の、モントゴメリテリアナショナルは、偉大なるテリアマン、RIC CHARSHOUDIANを悼み
Peter Green氏がRICとの思い出を語るのだそうです。
そして、多くの、RICに育てられたテリアマンたちが集い、偉大なる人にお別れを言う場となるのだそうです。
いま、クランバーアップ(FOXCREEK)のワイアーフォックステリアのほとんどの血液は
このRICの元から来たワイアーフォックステリアでした。
ハンドラー氏はこう言いました。
RICとの思い出は、あまりにもたくさんの思い出がありすぎて...そのあとは言葉になりませんでした。
今日は、そんなRICのエピソードとともに心から追悼の気持ちを送りたいとおもいます。
[過去に書いた記事より_ Not hostile,but respect. 敵意ではなく、経緯を。]
今日は、テリアの神様Richard Chashoudianの話をしたいと思います。
この写真は、なんと1948年に、エアデールテリアでB.I.Sを獲得したときのRIC。
Ch. The Sheik of Ran-Aireというエアデールテリア。
いま、私たちのケネルのワイアーフォックステリアのラインがあることも、
また露木浩のワイアーフォックステリアとの歩みがあるのも、Mr.Richard Chashoudian
という人物がいたからこそです。
ジュニア、パール、リッキー、リオ、みんな、彼のKATHRICH KENNELから来た
ワイアーフォックステリアたちです。
パートナーであったKATHYとRICのケネル、KATHRICH。
RICとの出会いが、ワイアーフォックステリアとの道を切り開いてくれました。
ハンドラー氏にとって、かけがいのない人です。
いつもハンドラー氏を励ましてくれ、"Hey HIROSHI, KEEP UP!"と言葉をかけてくれ、
ハンドラー氏の仕事を理解し認めてくれる人でもあります。
オフィスには彼からの手紙が飾ってあり、いつもその手紙を読むと元気が出ます。
日々のトリミングで疲れて、もう今日は仕事したくない!という日も
ハンドラー氏は、壁に飾ってあるRICからの、"KEEP UP YOUR WORK HIROSHI"という言葉を
なんども見直しては、今日も頑張らなくちゃとトリミングルームに向かっています。
RICの人生は、そのまままるごと、テリアの歴史でもありドッグショーの一頁です。
ドッグピープルの推移の歴史でもあります。
↑これは1951年Ch. Studio Liontamer is picturedというエアデールテリアが
エアデールテリアスペシャリティで勝った日の写真。
素晴らしい功績を残した人を、誰もが知らぬまま、振り返らないままに
目先のことだけを考えてるブリーディングやドッグショーでは文化が育ちません。
いくつもの先人たちの言葉を、いまいちど振り返ってみたいと思います。
今日は、そんなリックの話を。
Richard Chashoudin、RICと呼ばれる彼がドッグショーで
ハンドリングをはじめたのは彼が12歳の時でした。
ウェストコーストで最も成功したハンドラーとなったそのとき
リックはハンドラーからジャッジへと転身しました。
1976年、ニューヨークのマジソンスクエアガーデンで行われる
Westminster Kennel Club Dogshow100年祭の年、
彼は最高の栄誉であるBest In Showを獲得したのでした。
テリアのスペシャリストジャッジとして生きてきた彼の人生は、
犬の彫刻を彫る彫刻家としての人生をも歩んできました。
チャンピオン犬のブロンズ彫刻を掘り続けて30年、彼はとても大きな
任務を請け負ったのです。
ブッシュ大統領の愛犬、スコティシュテリア・バーニーの等身大のブロンズ像を
彫刻しました。
Ricは、ドッグショーの審査の旅に出ていないときには、彫刻に取り組みながら
バトンルージュのブロードムーアにほど近いの彼の家の明るいスタジオで
1日を過ごしています。
彼のつくったブロンズ像は、クランバーアップケネルの事務所にもあります。
コーギーのジーがアジアインターでB.I.Sを獲得したときに作ってもらいました。
そんなリックのコラムをぜひたくさんのテリアファンシャーや
ドッグショーファンシャーに読んでもらいたいと思って簡単に訳したので
ぜひ、彼の人生や文化に少しでも近づいてもらえたらと思います。
One MAN'S OPINION BY RIC CHASHOUDIAN. from caninechronicle.
私の、犬の最初の出会いは、10歳のときに父がミュージシャンである友人から、
エアデールテリアの子犬 をもらってきてくれたことに始まりました。
この子犬は、"Ric’s Lucky Boy"というレジストレーションネームで登録されました。
それはアメリカが真珠湾への日本の攻撃に遭う少し前、1941年のことでした。
ルーズベルト大統領は彼の有名なスピーチをラジオやテレビで行ったものの
卑劣な攻撃でその時はほとんど聞こえなかった。
ただちに米国は日本とドイツに宣戦布告しました。
しかしこれはすべてのアメリカの外での戦争でした。
米国は第二次世界大戦へと突入し、私はこのときのことをはっきりと覚えています。
すべての物資は配給となり、わたしたち家族も、食物を少しでも多く買うため
定量カードを受け取りました。
ガソリンも配給されました。靴も配給されました。
車または電気機器は、軍隊の使用を除いては一切製造されていませんでした。
軍隊の士気は高まり、この戦争に勝つぞというムード一色の時代でした。
当時のアメリカを覆う空気は現代のものとはまるで違っていました。
国民は皆、与えられた任務に順応していきました。
愛国心が最も高いピークに、幼稚園から兵役までの時代を過ごしていました。
わたしにはかつての日々がまるで昨日のことのように思い出されます。
さほど長距離移動が必要とされない大都市を除いては、
これらの数年間のドッグショー(1941年から1946)のほとんどは、
閉鎖を余儀なくされました。
配給カードだけでは、ドッグショーを往復するのに十分なガソリンを買うことが
できなかったのです。
その当時には、いたる所で自転車に乗りました。
どこへ行くのも自転車。
私はまさしくおよそ8歳から高校生になるまで、自転車に乗り続けていました。
戦争中で 新しいものが製造されていなかったので、自転車さえ少ない時代でした。
経済に関する限り、誰もがよく働いているように思えました。
働きたいとさえ思えば、雇用機会はいくらでもある時代でした。
軍需工場は多くの人々を雇用しました。
飛行機、ボート、およびすべてのメーカーは機械化され、人々を雇い、
軍事の衣服メーカー、食物、肉、およびパン会社が合衆国戦争機構を
動かせてい続ける全能力でありました。
神さまに感謝するべきことに、合衆国とその同盟国はその戦争に勝ちました。
もし神様が違う選択をしたなら、今日この国ははるかに異なっていたかもしれません。
パールハーバーに奇襲を受けたとき、合衆国は戦争の準備が整っていませんでしたが、
世界がかつて見た中で最も大きい戦闘部隊を、たちまちのうちに召集しました。
合衆国は今日も大きく変わらずに残っていますが、愛国心はあの頃ほど強くは
ありません。
そんなてんやわんやの時代の間中、ドッグショーは大切に守られ、
今日私たちが目にする姿になりました。
第2次世界大戦が起こる前、最も大きなドッグショーで150頭〜250頭の
エントリーがありました。
戦後、様々なことがドッグショー世界で爆発しはじめましたが、
ドッグショーの多くは、ドッグショーの世界できちんとした方法によって
自分たちの力量を示した偉大なドッグピープル達によって審査されていました。
そして、1950年代からの新たな時代が訪れました。
ドッグショーへのエントリーが飛躍的に増加し始めた後半期間が訪れ、
審査の内容や質がだんだんと不確かになってきました。
今では、本当に経験豊富で精通したドッグピープルをドッグショーで見つけることは
容易くはありません。
(訳注:誰もがにわかハンドラーやにわか知識人になっているというニュアンス)
私が若い時代のドッグショーでは、経験豊富なジャッジに対して挑戦したり、
あえてクレームをつけたりは、誰もしませんでした。
他人の不幸に駆けつけて、はやしたてたり近づいてくる人間もいませんでした。
各々が、自分で自分自身のことだけをしていました。
今日のドッグショーに見られる光景は、あちこちで噂話をしゃべり漏らして走り回る
多くの幼いティーンエイジャーに似ています。
ドッグスポーツの人気とともに湧いてしまうある種の情緒不安定は
私にも理解はできますが、これらの振舞いのいくつかはドッグスポーツの
より良い発展を考えたら、控えなければならないものだと思います。
非常に優れたドッグピープルとして自分たちのその実力を示した人々は
軽蔑されることなく皆から受け入れられ、尊敬されるべきです。
真に良質な愛犬家(ドッグファンシャー)である誰もが、
先駆者達の評判が婉曲して伝えられることによって破滅したり、
あるいは何らかの方法で汚れることを望んではいません。
いま、より質の高いショードッグをブリーディングすることに向かってより一層の
努力を費やすことの代わりに、どんなことをしてでも勝ちたがっている
ドッグショーに対して失礼な人々がドッグスポーツを汚れさせています。
私は、出陳者が節度をわきまえて尋ねてきた場合には、礼儀正しく良い
ドッグパーソン(審査員)なら、なぜそのクラスでその席次にしたかを
喜んで説明すると思います。
(訳注:勝ちたいあまりに審査員に失礼な振る舞いをする出陳者が多いが
礼儀正しく理由を尋ねれば良い審査員なら喜んで答えるだろうという意味)
もっとも大切なキーワード。
それは、敵意ではなく、敬意を重んじるというです。
ドッグショーにおいてクラスで負けてしまうことは世界の終わりではありません。
また別のショーが間近に控えています。
真に犬を見極める才能のない審査員というのはたくさんいますが
だからといって彼らが悪人であるということにはなりません。
彼らは才能を持っていませんが、才能のない人は自分の無才能に気づくことが
できません。
わたしがハンドラーだった頃、当時私は彼らの審査や意見にほとんどと
言っていいほど敬意を払うことはありませんでしたが、
自分が審査員になってから知り合ってみたら本当に親切な人々であり
とても大切な友人になりました。
大切なことは、敵意ではなく、敬意です。
いま私が話せるのは、そんなところでしょうか。
written by Richard Chashoudian.
* * * * * * * * * * * * *
RICの言葉は、いまの日本のドッグショーに携わる人々にも相通ずるものが
あるかもしれません。
敵意ではなく敬意を持とう。
ジャッジに対し、同じブリードのコンペティター(競争相手)に対し、
あるいはともに連戦を戦うハンドラー同士において、ブリーダーに対して、
常にこの言葉に尽きると思います。
RICのエアデールテリアについてのOPINIONは、こちらで読めます。
テリアファンシャーの方、ぜひ読んでみてください。
RicのOne Man's Opinionのシリーズは、全てとても興味深い内容です。
また後日、訳してアップしてみたいと思います。
わたしたちすべてが、彼の言葉を胸に刻み、ドッグショーという文化に
関わっていけたらきっとドッグショーはもっと良い場所になると思います。
ハンドラー氏が、最愛なる恩師のことを振り返るにはまだ少し時間が必要なようです。
心より、お悔やみを申し上げます。
そして、ありがとうという気持ちしか、ありません。
ハンドラー露木浩の人生を変えた人でも、あるとおもいます。
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